聖日礼拝メッセージ
2013年3月5日 更新

聖 書 ヨハネ4:1〜6   (第21講)
   題 「あえてサマリヤを通られたイエス様の意図」


  (序)神のご計画の時を知って進まれるイエス様

* これまでのイエス様の行動を、簡単に見てみますと、ヨハネからバプテスマを受けられることによって、公生涯を開始され、ヨハネ福音書の方では、荒野での試みの記事は省略され、多分5人の弟子たちを連れてヨルダン川のほとりから、ガリラヤのカナに向かい、婚礼に出席されました。

* この時には、サマリヤ通過にはついては全く触れられてはいません。ただ3日目と記されており、これは、婚礼のためにわざわざ行かれたことが分かります。

* その後、ガリラヤ湖畔のカペナウムに滞在され、過越しの祭りに合わせて、エルサレムに向かわれました。そこで神殿において商人たちを追い払われ、エルサレムに滞在しておられる間にニコデモの訪問があり、その後弟子たちとユダヤ地方に行かれたとあります。そこはヨルダン川の向こう岸となっています。

* そこでなぜかイエス様は、ヨハネのバプテスマ運動を受け継ぎ、ヨハネよりも多くの弟子が集まったとあります。このことは19講の所でその理由を考えました。これは、ご自身の宣教活動の一環としてではなく、バプテスマのヨハネに与えられた、メシヤを迎える準備作業の手伝いとしてなされたと考えられます。

* ヨハネの使命に対する忠誠心と熱心な活動によってなされた準備作業でありましたが、民の側の反応の鈍さによって、その作業が十分に進められず、それを見たイエス様は、ご自身の登場の前に、弟子たちを用いて準備作業を手伝われたと見ることができます。

* このような光景に、神のご計画を何としてでも順調に進めたいと願っておられるイエス様の思いが感じられます。準備が不十分なまま事を進めていくならば、神のみわざが不完全燃焼で終わってしまうと考えられたからでしょう。

* 弟子たちに、イエス様の意図が分かっていたとは思えませんが、バプテスマのヨハネの神による権威とそのお働きを目の当たりにしてきた弟子たちにとっては、イエス様の承認を得て、自分たちもヨハネ先生のバプテスマ運動に協力できることを喜んでいたことでしょう。

* この手伝いがいつまで続くのか、弟子たちには全く分かってはいなかったでしょうが、イエス様の思いの中では、時を見定めておられたのでしょう。

* 共観福音書の方では、イエス様の公生涯の最初の時に、すでにバプテスマのヨハネが投獄されたとあるので、(マタイ4:12他)ヨハネ福音書の方では、その記述がなく、バプテスマ運動の手伝いを別の所でしておられた3:26〜4:1までの間に、ヨハネの投獄があったと見るべきでしょう。

* すなわち、ヨハネよりも多くの弟子をつくったことが、バプテスマのヨハネが捕らえられた頃うわさになり、バプテスマ運動が2代目イエスに継承されたとパリサイ人たちが言うようになったことを弟子の一人から聞いた時、イエス様は、準備作業の終わりの合図だと受けとめられ、バプテスマ運動を切り上げられたと言うのです。

* この記事から、私たちはどのような御声を聞き取っていかなければならないのでしょうか。神のご計画の受けとめ方、状況判断の仕方、神の時を知ることは信仰者にとって非常に重要なことでしょう。


  (1)神の導きの時を見定める

* それでは、バプテスマのヨハネが捕らえられたことと、イエス様の指揮の下での、弟子たちによるバプテスマ運動が、ヨハネのバプテスマ運動よりも勝るようになったことをパリサイ人たちが知ったこと、この2つの点がどうして、準備作業の終わりの合図だと、イエス様は受けとめられたのでしょうか。

* 神のご計画の中で、バプテスマのヨハネによる準備作業は、人間的な目から見て、達成されるとは考えてはおられなかったでしょう。必ず妨げを受け、その事業は途中でとどめられることが最初から織り込み済みであったのでしょう。

* それでは、準備不足のまま、イエス様がメシヤ到来としての公生涯を歩まれるならば、神のみわざは頓挫するのではないかと思うのですが、そこが人間の感覚と神のお考えとの違いなのでしょう。

* 神による人類救済事業は、すべての人が、神の愛のご計画を受けとめ、救いに導かれるようになることではなかったのです。そのことを著者ヨハネは受けとめていたので、序文の所で「すべての人を照らすまことの光があって、世に来た。・・・彼は自分のところにきたのに、自分の民は受け入れなかった」(1:9,11)と言っています。

* まことの光をあかしする者としてのヨハネの使命は、やみを明らかにし、やみ人間は滅びるしかないことを宣言するためでありました。しかしその中のごく少数の者は、主の名を信じて神の子とされることを示すためです。

* イエス様は、ご自身がまことの光であられるのに、まことの光をあかしするヨハネの使命が果たされるように協力され、バプテスマ運動を続けてこられたが、ご自身がまことの光としての使命を果たそうとされる時がきた時に、バプテスマ運動をやめて立ち上がられたのです。しかもエルサレムに向かおうとされたのではなく、ガリラヤを拠点とされたのです。

* その合図となったのが、バプテスマのヨハネが捕らえられたことと、パリサイ人たちがバプテスマのヨハネの2代目として成功しているのをねたんで、イエス様を敵視し始めたと言うことを聞いたことでした。

* どうしてこれが合図だったのでしょうか。多くの人々は、ヨハネがメシヤではないかと思っていたのです。いくらヨハネが、私はメシヤではなく、その前に遣わされた荒野で呼ばわる声だと言っても、ヨハネの証言よりも、自分の感覚の方を信じている人が多かったので、そう思い込んでいたのです。

* そのヨハネが捕らえられ、すぐに釈放されるかされないかは別にして、捕らえられたことによって人々は、メシヤではなかったのかという大きな失望を覚えることになったことでしょう。そこでイエス様は、メシヤ到来に目を向けさせようと、今が立ち上がる時だと考えられたのです。

* 神の導きの時を知るということは、信仰者にとって非常に重要なことです。預言者イザヤは、主のお言葉としてこう伝えています。「わたしは恵みの時に、あなたに答え、救いの日にあなたを助けた」と(49:8)。パウロはこのお言葉を引用し、そうだ!「今が恵みの時、今が救いの日である」と言いました。(Uコリント6:2)

* 神の時、それは神が助け、押し出し、強くし、支えて下さる時、それは神の恵みにあずかる時だと言われているのです。今この時がその時だと気づかせて下さった時を大事にするならば、神の働きかけを見落とすことはありません。

* イエス様は、神の定められた時に、この地上に遣わされ、神の合図を受けてメシヤとしての大きな一歩を踏み出されたのです。その第1歩がユダヤを去ってガリラヤに行かれることでした。

* なぜユダヤ教中心地のエルサレムではなく、ガリラヤなのか、これは、ユダヤ教の歪みが大きくなっており、指導者たちの集まっている中心地では、メシヤとしての活動が、不必要な衝突を招くだけで、今はまだ時ではなく。必要な活動を十分になされた上で、エルサレムに戻るようになり、その対立がより鮮明になることによって、十字架の道へと向かわされることになっていたからでしょう。

* 何が何でも闇雲に前進することが神の時なのではなく、神のお心を果たすご計画に沿って歩むことが、神の導かれる時なのです。そのことは、私たちに与えられている使命においても同様で、神の導きの時を見定め、その時に、神の驚くべき働きかけがあると信じて前進することが重要なのです。


  (2)色づいて刈り入れ場となっていたサマリヤ

* こうしてイエス様は、弟子たちを連れてガリラヤに向かわれたのですが、著者ヨハネは、4節であえて説明文を入れて、「サマリヤを通過しなければならなかった」と言っています。これは、どうしてもサマリヤを通る必要があったと表現しているのです。

* イスラエルは、北からガリラヤ、サマリヤ、ユダヤと3つの行政区に分かれていて、ユダヤからガリラヤに行く道の一番早道は、サマリヤを抜けて通る道でありました。しかし厳格なユダヤ人はサマリヤを毛嫌いし、サマリヤを避けて、暑くて険しい道であるヨルダン川の向こう岸を通りました。これはかなり遠回りの道です。

* なぜユダヤ人がサマリヤ人を毛嫌いしていたかと言いますと、それは、700年以上も前に、当時北イスラエル王国が不信仰に陥り、アッシリヤ人によって国が滅ぼされ、その時の政策として多くの住民を捕虜として率いていき、代わりにアッシリヤ帝国の5つの地方からサマリヤに移住させ、サマリヤに残っていた民は、移住の民と混血し、半異教的民族となってしまったのです

* 後に、南ユダ王国も不信仰の故に滅ぼされ、多くの民はバビロンに率いていかれるのですが、彼らは民族の純血性を守り通したのです。後に帰還を許されるのですが、ユダヤの人々は、サマリヤ人たちを神の選民とは認めず、一切の交流を持たなかったのです。

* それでは、ガリラヤはどうだったのでしょうか。ガリラヤも北イスラエルの一部でありましたので、アッシリヤからの移民が入り込んだのですが、後にBC80年に、ユダヤ人の手に取り戻し、多くのユダヤ人がガリラヤに入り込み、異邦人とユダヤ人とが混在しました。ガリラヤのユダヤ人は、異邦人と共存しながら、イスラエルの神を礼拝する人々でありました。南のユダヤ人とは異なった農村型のユダヤ人が形成されていたと言えるでしょう。

* イエス様もガリラヤ人で、ナザレの人だと言われています。ここからガリラヤ人は異邦人と共存してはいるが、イスラエルの神を礼拝するユダヤ人として、南のユダヤ人とは交流があったのです。イエスの母マリヤが、エルサレムにいるエリサベツの所にきて交わっていたことからも分かります。

* イエス様が、どうしてもサマリヤを通る必要があったと記されている内容は、著者ヨハネが、イエス様のお心を読んでこのように記したのでしょう。単に早道だったからと言う理由だとは到底思えないのです。

* それは、この後の記事に記されていますが、35節で、作物のたとえを用いて、弟子たちに、この地の人々は半異教的民族だからだめだと思ってはならない。「目を上げて畑を見なさい。はや色づいて刈り入れを待っている」と言われたのです。

* すなわち、ここには色づいて刈り入れを待っている、飢え渇いて神の方に目を向けているサマリヤと、いくら神の働きかけを受けても、一向に実を結ぼうとしないユダヤとの皮肉な対比が描かれているのです。

* 神の選民から見下げられ、軽蔑されていたサマリヤ人が、神の喜ばしいおとずれを積極的に受け入れているのに、神に愛され、導かれてきたはずのユダヤ人が、メシヤを受け入れようとせず、ねたみと自己保身の心を持って退けているのです。

* バプテスマのヨハネが先に遣わされて、ユダヤ人たちの心を、王なるメシヤを迎える準備をしてきたのです。すなわち、あれほどヨハネが、精力的に神の人類救済事業に沿って働き続けてきたにもかかわらず、メシヤを迎える備えが人々の心の中に起きなかったのです。

* バプテスマのヨハネが土地を耕して、イエス様がそこに種をまき、成長させ、実を刈り取ろうとしておられるのに、ユダヤ人たちの固い心は砕かれず、種を受け付けさえしなかったのです。

* それに比べてサマリヤの人々は、先駆者が送られてもおらず、心備えをするように導かれてもいなかったのに、もうすでに色づいて刈り入れを待っている状態になっていると言われたのです。これは何という皮肉な姿でしょうか。

* 聖書をよく読み、信仰深い生き方をしている者が、神の導きを受け、実を結ぶ者になるとは限りません。形ではないのです。心底飢え渇いて主を待ち望み、主に取り扱われることを望む人を、神は色づいている刈り入れ場として刈り取ろうとして下さるのです。

* 後に、イエス様が教えられたぶどうの木のたとえで、実を結ぶ枝と、実を結ばない枝の違いが明らかにされています。実を結ばない枝は取り除かれて捨てられ、焼かれるが、実を結ぶ枝は、キリストにつながっているがゆえに、ますます豊かに実を結ぶようにされると言われているのです。(ヨハネ15:1〜6)


  (3)疲れを覚えつつ仕え続けて下さるイエス

* イエス様は、サマリヤのスカルという町に行かれ、ヤコブの井戸と呼ばれている井戸端で休まれたことが記されています。イエス様は、神的存在でありつつも、人の肉体を受けられたので、人間的要素をも持っておられることも示すのです。

* このことを解説しようとする著者ヨハネの意図はどこにあるのでしょうか。イエス様は、人々が求めてくるのをじっと待っているお方なのではありません。疲れと渇きを覚えてまでも、永遠の命の水を持ち運び、与えようとして下さるお方だと示しているのです。

* 普通に見れば、旅の途中疲れて井戸端で休んだという状況描写に過ぎないのですが、あえてサマリヤを通らなければならなかったイエス様の思いは、はや色づいている刈り入れ場がそこにあるとお考えになったから、彼らが半異教的民族だとユダヤ人たちから見下げられている人々であろうと、飢え渇いている魂を求めて向かっておられる姿が描かれているのです。

* 確かに、イエス様は、弟子たちを宣教に遣わされる時、彼らに命じられたことは、「異邦人の道に行くな、またサマリヤ人の町に入るな。むしろ、イスラエルの家の失われた羊の所に行け」(マタイ10:5,6)と言われています。

* これはまだ十分に育っていない弟子たちのことを思って言われたのであって、サマリヤ人たちを、半異教的民族だから行くなと言われたのではありません。

* へブル書の著者も、肉体を取られたイエス様についてこう語っています。「この大祭司は、私たちの弱さを思いやることのできないようなかたではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについて、私たちと同じように試練にあわれたのである」と。(ヘブル4:15)

* 人の弱さ、痛みを知っておられるお方だからこそ、あえてサマリヤを通られたと分かるのです。エルサレムを中心としたユダヤ教から、半異教人との扱いを受け、イスラエルの神を信じているのに、ユダヤ教にあらずと見下げられてきた人々の思いは、傷ついていたことでしょう。彼らもメシヤ到来を待ち望んでいたのです。

* そこに刈り入れ場があると分かれば、イエス様は疲れをも苦にされず、神の御許に招き寄せるために働き続けて下さるのです。痛みを覚えながら、魂の救いのために仕え続けておられるイエス様のお姿が、この一句によく言い表されています。

* このお方は、私たちの弱さ、痛みを知って下さっており、この私のために疲れを覚えつつ仕え続けて下さっていると思うと、感謝にあふれます。神と結びつき、神のお心に沿って実を結ぶ者にして下さるために、そのお働きをとどめられることはないのです。


  (結び)外見上のユダヤ人と真のユダヤ人

* 今日の箇所は、イエス様が次の行動に移ろうとされる状況説明の箇所とも言える内容ですが、そんな中にも、イエス様がどのような思いで次の行動に移ろうとしておられるのか、イエス様の熱い思い、深いお考えがそこににじみ出ていることが分かります。

* イエス様は、ご自分の思いでは動かれず、すべて神のお心を優先され、神の定めておられる時を見定め、その合図に沿って進み出されているということが分かります。

* そのことについて、5:19において、「子は父のなさることを見てする以外に、自分からは何事もすることができない。父のなさることであればすべて、子もそのとおりにするのである」と語られ、神のお心を思い、神の時を見定め、神の導きを受けとめながら、その導きに沿って進まれたイエス様であったことが分かります。

* その導きに沿って前進されたところが、神の選民として導き続けられてきたユダヤ人ではなく、半異教的民族として見下げられていたサマリヤ人であった。なぜなのでしょうか。一方はかたくなで神の働きかけを受け入れようとせず、一方は飢え渇いて求め続けていたのです。

* パウロもそのことについてこう語っています。「外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、・・・かえって、隠れたユダヤ人がユダヤ人である」(ローマ2:28,29)と。自分を固辞し、変わろうとせず、神を動かそうとする信仰者は、神の目から見れば、外見上の神の民に過ぎず、真の神の民は、神に取り扱って頂こうと自分を固辞せず差し出し、飢え渇いて求め続ける者のことだと言っているのです。

* もし私たちが、色づいて刈り入れを待っている刈り入れ場となっていないなら、いつまで経っても神に取り扱われず、外見上の信仰者で終わってしまうのです。

* 私たちが刈り入れ場となっているならば、キリストは、疲れを覚えつつも、私たちを愛するあまり仕え続けて下さるのです。今では大祭司として、神との間をとりなし、私たちに代わって痛みを受け取り、子としての名誉にあずかるように導き続けて下さるのです。



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