聖日礼拝メッセージ
2013年5月5日 更新

聖 書 ヨハネ5:1〜9   (第27講)
   題 「病人の癒しに示されているイエス様のお心」


  (序)勘違い信仰の怖さ

* イエス様がメシヤとしての大きな一歩を踏み出された姿が、ユダヤを去ってガリラヤに行かれることでありました。その途中であえてサマリヤを通り、後に弟子たちが宣教をするための準備として、サマリヤ伝道の道を切り開いた上で、ガリラヤに向かわれたのです。

* ユダヤを去ってガリラヤに行かれた理由は、まだユダヤ教の指導者たちとの無用の衝突をする時ではないと考えられて取られた行動でありました。しかし、ガリラヤでの巡回伝道はそれほど時を経ていないのに、ユダヤ人の祭りがあると言うことで、ユダヤに行かれたというのがこの5章の記事であります。

* 6章では、再びガリラヤに行かれ、7章では仮庵の祭りでユダヤに戻っておられます。それ故、ある学者たちは、6章のガリラヤでの記事が4章の後に続き、5章は6章の後で、7章につながっていると考えて、5章と6章とを置き換えようとしています。これはどこまでも想像に過ぎません。

* 確かに、そうすれば順序的には分かりやすいのですが、イエス様は、効率のみを考えて動かれるお方ではなく、目的と必要に応じて歩まれるお方です。ユダヤ教に対してではなく、ユダヤ教を歪めてしまった指導者たちに対して、全面衝突することを辞さない覚悟でエルサレムに向かわれたのです。

* 今与えられている福音書が、順序通りだと受けとめると、イエス様の公生涯の歩みはどのようであったか、多くの説があり、どれが正しいと言い切れないのですが、イギリスの学者、バクスター氏の受けとめ方を基にして、大まかな年表を補足として、最後に書いておきますので、それを参考にして下さい。

* もちろん私たちは、今学問的に学ぶことが目的ではありませんから、それを参考にして、著者ヨハネは、イエス様がどのような思いでガリラヤから再びエルサレムに戻られ、何をなさったかを記すことによって、イエス様のどのような面を明らかにしようとしたかを考える必要があるでしょう。

* 5章と6章とにおいて、ある共通した内容が取り上げられています。年表の所から見て頂くと分かるように、5章と6章の記事の間は約11ヶ月離れていると考えられ、その間の共観福音書に記されている多くの記事が省略されていて、著者ヨハネは、公生涯の順序よりも、イエス様が向かわれた意図の方に着目して続けて記し、5章ではユダヤ教の指導者たち、6章ではその指導者たちに導かれた民衆たちに対して、反発と衝突を引き起こさせる言動を取られたことが描かれているのです。

* その意味では、5章からはイエス様による人類救済事業の新しい展開として、エルサレムで当時のユダヤ教の指導者たちや民たちが現してくるだろうと考えられる敵意と殺意を、通るべき道として受けとめて進んでいかれるイエス様のお姿を描き出していることが分かります。

* なぜそのことが描かれなければならなかったのでしょうか。イエス様による人類救済事業は、勘違い信仰を強く否定し、神のお心を正しく受けとめる福音信仰に立たせることであり、その上で、ご自身の血を流し、あがないのみわざを完成させることであったからです。

* 勘違い信仰の怖さ、それは真の福音に対して反発し、敬遠し、自分の思いを神よりも正しいとし、真の福音を信じている者に対して敵意を表し、神に敵対するようになるからです。しかも、それで神を信じているつもりでいるのですから、これほど救い難い存在はないと言っていいでしょう。

* しかし、勘違い信仰と、真の福音に立つ信仰との違いは、神の目から見れば天と地ほどの大きな違いがあるのですが、人間の感覚では判断できないほどの小さな違いです。

* それ故、余程注意し、神のお心に立つ信仰に向かわせてもらえるように、聖霊の助けを得て向かわなければならないと思わされます。それでは、その働きかけの発端となった病人の癒しの記事から見ていくことにしましょう。


  (1)社会から見捨てられた人々の集まるベテスダの池

* 5:1に記されているユダヤ人の祭りが、どの祭りの事を指しているのか、明確ではありません。2:13や他の箇所でも(6:4、11:55)はっきりと過越しの祭りと言っていることから、この箇所だけ何の祭りがぼかす意図が考えられません。

* 3大祭りだと言われている、5旬節後のペンテコステの祭りか、あるいは10月の仮庵の祭りのことではないかと考えられます。どちらであるか限定することはできませんが、どちらであっても、内容に全く影響はありません。

* それよりも、なぞであるのは、ユダヤ人の祭りと言うことでエルサレムに来られたイエス様が行かれた所は、神殿ではなく、当時の社会から切り捨てられた人々の集まるベテスダの池でありました。なぜそこに行かれたのかという点と、あえて安息日に癒しをなされたのはなぜかという点と、すべての病人にではなく、その中の一人に対してだけ癒しをなさったのはなぜかという点など、なぞを感じさせる記事であります。

* ベテスダの池とは、神殿の北約350mの所にある、およそ縦120m、横50m、60mの台形の池で、池には周りを取り巻く4つの回廊があり、池の中央に、2つに区切る第5の廊があったと言われています。そこには病人、盲人、足なえ、やせ衰えた者たちが、大勢からだを横たえていたと言うのです。

* 彼らは単に病気であったと言うだけではありません。社会の厄介者扱いされ、人としてみなされておらず、世から隔離された人々であり、病気が治ったからと言って、即社会に復帰できる希望もなく、言わば世から見捨てられた人々が集まっていた所であったのです。

* イエス様は、このような人生の敗残者と見られている人たちのいる所になぜ行かれたのか、その理由は全く記されてはいません。ここにくることが目的でエルサレムに来られたとも思われません。社会の暗部と言われるような社会状況を改革し、救済しようと社会運動を起こそうとされるために来られたのではありません。

* なぜなら、イエス様が癒されたのは、大勢いる病人の中の一人だけであり、それ以外の人々には目も向けておられないことからも分かります。また、このような人々を救済しようとしない当時の社会的上層部の政治を批判するためでもありませんでした。

* 安息日に、多くの人々が神の前に守るべき大事な祭りとして、荘厳な形容を誇る神殿に集まり、神をたたえ、きよめのためのささげものをし、うやうやしく礼拝がささげられている一方、それほど離れていない池の周りには、惨めな人生を送っている人々が、世から隔離された形で、横たわっていたのです。

* なぜ、彼らはそこで横たわっていたのか、その理由として3節後半と4節においてその説明が記されています。しかしこの括弧の部分は重要な写本には欠けており、後の人が脚注の形で入れていたものが、後に本文の中に入れ込まれたと考えられています。それ故、これを省いている翻訳も多いのです。

* これは、7節の、病人の答えからも、当時の人々がどのような俗信あるいは迷信にすがっていたかということを説明する必要から入れた脚注なのでしょう。その俗信は、時折御使いが水を動かされると信じられ、その時に、最初に池に飛び込んだ人の病が癒されるというものでした。

* このことを長年信じて、池の水の動くのをじっと見ていたというのですから、それによって病が癒えた人のある事実を見たことがあったのか、それともただそう信じるしかなかったから信じ続けていたのか、言わばここに横たわっている人々の唯一の望みとなっていた俗信であったのです。

* しかし、38年間も病気に苦しみ、普通の生活ができず、池の水ばかり眺めていたこの人は、自分で池の中に入ることもできない状態で、その望みすら持てない状況だったのです。

* なぜイエス様は、この人に目を留められたのでしょうか。大勢いた病人の中で、この人が一番重い病気であると見られたのか、あるいはもっとも長きに亘ってここに横たわっていると見られたのか、それとも、全く望みすら持てない人であると見られたからか、その理由は分かりませんが、18節までの所で、それらのことをできる限り解明していきたいと思うのです。ここにいた病人の代表として、この人に目を留められたと考えられます。これは何を意味するのか、そのことについて考えてみることにしましょう。


  (2)お言葉を信じる歩みに向かわされた病人

* 多くの癒しの記事は、病人の方からイエス様に願い出て、主のあわれみを求めているのですが、この癒しの奇蹟は、病人の側がイエス様に願い求めていない状況の中で、イエス様の側から近寄り、「なおりたいのか」と語りかけられ、彼の心の内に何とか信仰の思いを起こさせようと働きかけられたものであります。

* 社会から切り離され、救いのみわざがなされるとの神の約束などに何の縁もなく生きており、神なる存在を考えることもなく生きてきた、全く希望の持てないみじめな人生を生きてきた人でありましたから、救い主に対する信仰も、人として神と向き合う祝福された人生についても無知なままでありました。

* 何とか病から解放されないか、ただその一点だけに目を向けて生きてきた病人にとって、「なおりたいのか」と語りかけられたその言葉は、かすかに残っている期待の思いに訴えかけるものでありました。それは、御使いが池の水を動かした時に、池の中に最初に入ることを意味したのです。

* このような霊的無知は、彼自身の問題ではありませんでした。社会から絶縁され、無用の人間として扱われ、信仰におおよそ縁のない人間、救いの中に入れられる価値のない人間として追いやってきたのが人間社会であり、世の人々であったと言えるでしょう。

* イエス様は、そのような霊的無知の世界に追い込まれた人に信仰を求め、飢え渇いて求めてくる信仰がないからといって切り捨てられるようなお方ではありません。ご自身の方から近寄り、「なおりたいのか」と言われたのです。

* 病人に対して、なおりたいのかというのは愚問ではないかと感じるのは現代感覚でありますが、この病人にとって望みのない境遇の中で、病気から解放される可能性は皆無に近い状況であり、そんな中で、なおりたいのかという言葉は、おおよそ自分には無関係な言葉だと思っていたに違いありません。

* それ故、なおりたいのかと言われた人の方をじっと見詰め、冗談ではなく、本気で語られているのを知って、唯一の可能性である、池の水が動いた時に、最初に池に入ることができるように手助けしてくれることだと考えたのです。今まで私にはそのような私のことを思ってくれる友人はいなかった。あなたがそれをしてくれるのですかという思いで見上げたのです。

* これは信仰の思いではなく、言わば、おぼれる者は藁をもつかむということわざのごとく、こんな私の病が治る方法などあるのか、もしこのような闇から救い出されたならば、神と無縁な人生だと切り捨てられてきた人生に、希望の灯がともると思わされたのでしょう。これは信仰とはおおよそかけ離れた思いです。

* なおりたいのかと語りかけてくれたお方がどなたであるか、何も分からず、信仰の思いなど起こり得る状態ではありませんでした。なのにイエス様は、彼に次のように言われたのです。「起きてあなたの床を取り上げ、そして歩きなさい」と。

* これは、病人が思っていたこととは全く別の展開でした。池の水の中に入る手助けをしてあげようという言葉ではなく、私の言葉を信用して起き上がり、床を取り上げて歩いてみなさいとの言葉であったのです。

* これは、今まで俗信信仰にすがり、そこに一縷の望みを置くしか、自分の人生に期待を持てなかったのです。そんな彼の思いに、そのような実現するかしないか分からないような俗信信仰をやめ、私の言葉に信用を置きなさいと示されたのです。

* これまで、お言葉を信じるという歩みをしてこなかった彼にとって、それは、大きな迫りでありました。そんな言葉に、私の惨めな人生を変える力があるのか。一縷の望みをおいていた俗信を否定して、お言葉に信用を置き、それに失望したら、もう何の望みもない人生になってしまうと思わされたでしょう。

* ご自身のことを明らかにされないまま、私の言葉を信用しなさいとの迫りは、彼にとっては一大決心を要する事柄でした。しかし彼はそれに賭けたのです。信仰を持っていない彼が、どうしてそれにかけることができたのでしょうか。そのことをもう少し考えて見ましょう。


  (3)お言葉に期待して進み出せるか

* 長い間、池の中に入ることばかり考えていた彼が、どうしてイエス様のことが分からないまま、その言葉にどんな力があるのか知らないまま、素直に聞き従おうとしたのでしょうか。

* 彼は、希望の持てない状況の中で、病気が治る保証もないし、そのチャンスがあると思えない状況の中で、かすかではあっても、期待を持ち続けていたことが伺えます。池の水を見詰め続けており、そのチャンスを願っていたのです。

* 彼は、かすかとはいえ、どうしてこんな状況の中で期待を持ち続けることができたのでしょうか。普通なら人はすぐあきらめ学習をしてしまい、期待しないようになり、人生を投げ出してしまうものです。

* 何年間、思い続けていたか分かりませんが、何とかして池の中へ入って癒されることを期待し続けたのです。イエス様はその思いを見て、迷信信仰であっても期待を持ち続け、思いを失わなかったから、正しく導けば、その期待心は正しい信仰に変わると見ておられたのです。その導きは、この後なされるのですが、そのことはその時に学ぶことにしましょう。

* この癒しを安息日においてあえてなさったのには理由があったのです。それは、ユダヤ教の指導者たちの歪んだ勘違い信仰、お言葉に対する信用のなさ、それらを指摘することによって、飢え渇きがなくなり、期待の心をなくしていた指導者たちの信仰と、神から見捨てられていると見られていた惨めな病人の信仰と、どちらを神は喜ばれるか、それを対比して見せようとしておられるのです。

* 彼には信仰はなく、イエス様も知らず、迷信信仰にすがるしかなかった、言わば救いから一番縁遠い人物であったと思わされるのに、イエス様のお言葉をそのまま素直に聞いて、寝床と言っても、一畳分ぐらいの簡単なマットのようなものでしょう。それをくるくると巻いて、それを脇に抱えて歩き去ったと言うのです。

* どうしてそんなことができたのでしょうか。歩き出そうとしたら、萎えていた足に力が入り、身体に元気がみなぎってきて、癒されたことを身体で感じ取ったのでしょう。これは、このお言葉を信用しようと思ったから現された御力であったと言えるでしょう。

* 今日では、このような癒しを期待すべきではないでしょう。しかしお言葉を信用して進み出すことは、今日においても重要なことであります。お言葉に対する期待を持って進み出すことが、上からの力に満たされる歩みであります。


  (まとめ)床を取り上げ、起きて歩きなさい

* この癒しの記事は、疑問が満載しています。なぜ彼を選ばれたのか、なぜわざわざユダヤ人の祭りのためにエルサレムに向かわれたのに、神殿ではなく、社会から隔離されていたベテスダの池へ出向かれたのでしょうか。安息日を外すこともできたのに、なぜ安息日に、当時の指導者が安息日違反だと言っていることをされたのか、信仰を現していない者にどうしてご自身の方から声をかけてまで、癒しの奇蹟を見せられたのでしょうか。どうして床を取り上げさせられずに癒すこともできたのに、歩いて去るように言われたのでしょうか。どうしてご自身を明らかにされなかったのでしょうか、などなど。

* ベテスダの池に集まっている病人たちは、みな保養のためではなく、迷信に自分の人生をかけて集まっていたのです。病さえ治れば社会からも受け入れられ、神の民としての歩みを回復できると考えたのか、病が癒えることだけを毎日毎日考え、そのチャンスを待っていたと言うのです。

* 驚くべき生存競争の厳しさが、社会から切り捨てられたベテスダの池を渦巻いていたのです。なんとしてでも自分が先に池に入れるように、ただそのことしか考えられず、人間の醜い面が浮き彫りにされる場所でした。言わば人間の底辺とも言うべき所です。

* イエス様は、なぜそこに行かれたのでしょうか。なぜそのような一人の醜い人間の思いを手助けするかのように、その病を奇蹟によって癒されたのでしょうか。イエス様から見れば、ベテスダの池の周りにいる人たちだけではなく、すべての人は利己主義、自己中心に生きている醜い人間であって、50歩100歩だと見ておられたのでしょう。

* それではどのような人が、イエス様の目にかなって、目を留めて頂き、救い上げ、その魂を癒して頂けるのでしょうか。そのヒントがこの癒しの記事において明らかにされているのでしょう。

* 人間の底辺とも言える世界の中で、自分のことしか考えられず、神と切り離された迷信に生きる世界の中で、そこに自分の人生をかけている人々、それは、世に生きるすべての人々の姿でもあります。

* 病さえ治れば社会復帰でき、神の前に生きる人間としての地位も回復できる、そう期待する思いを長年失わずに求め続けていたこの病人は、イエス様の目に留まったことによって、主のあわれみを受け、回復人生の一歩を踏み出したのです。

* 信仰がなかった彼の内に、信仰の思いを植えつけていこうと、迷信と絶縁させ、私の語る声にのみ耳を傾けるように求められ、信仰の要素がすべて整っていなくても、一歩踏み出すことができるように、「床を取り上げ、起きて歩きなさい」と言われたのです。

* これは、すべての人に語りかけられている言葉だと言えます。人間の醜さが渦巻いている世界に、思いも心もそこに置いて生きている者に、「床を取り上げ、起きて歩きなさい」、神とかけ離れた世界にとどまらないで、今神に向かって一歩踏み出しなさいと。これが魂の癒しの始まりです。

* この病人にとって、床を取り上げ、起きて歩くと言うことは、今までの生活に見切りをつけて、約束のお言葉に従って歩き始めるということです。新しい生き方への期待なくして進み出すことはできません。

* 私たち信仰者にとって、床を取り上げ、起きて歩くということはどうすることでしょうか。世にどっぷりと浸かって生きる歩みは、神から切り離された歩みでしかありません。それ故、神を前に置いて生きる祝福の人生を歩みたいと願って、信仰に歩み出したのですから、その完成である御国への期待を持ち続けて、世に引き戻されそうになる思いに気づいて、床を取り上げ、起きて歩きなさい。私だけを信用し、私だけによりすがって一歩踏み出せ、そこに新しい人生が用意されているという語りかけを聞くことが重要です。

* なおりたいのかという語り掛けに、神の前に生きていない自分の姿があることを見せられて、神の前における祝福された歩みをしたいと願い、世に思いをも残していたそんな床を取り上げ、起きて歩き出す重要性が示されているのでしょう。



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